「ライターって、何をする仕事ですか」
初対面の方に自己紹介するたび、そう毎回質問される。あれは2014年〜2015年頃、どう説明しようか考えあぐねていた、沖縄での出来事。
今思えば、Webで記事を書くライターもブロガーもオウンドメディアも、あの頃はまだ「はしりだった」のだろう。2016年頃から【ライター】という肩書きが浸透しはじめて、説明する場面が減りました。ライターのイメージがやっと知れ渡ってきたんだなあ、と嬉しく思ったものです。
それもこれも著名なWebメディアの快進撃や、SNSで活躍するライター・編集者の存在があってこその時代の流れ。先陣を切って道を切り開いた人の功績が前提にあり、そのレールの上を今、自分は歩いています。
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「面白そうなイベントがあるよ」
2012年の夏。友人から連絡がきて、個人が出店するマルシェに誘われた。占いに興味がない自分が、カラーセラピーを受けたのはワンコインだったから。1回500円か。安いな〜!と物は試しに体験すると、「何か新しいことを始めるといいですよ」と言われた。その2週間後、地味にブログを始めてみたところ、「文章を書くのって楽しいな」と漠然と思い、沖縄のカフェやイベントに行っては写真を撮り、定期的にブログを更新していった。
どこからやって来るのか、ブログを訪問する読者数が増えて、PVが上がりコメントがついていく。小さくも反響がありブログって面白いなと、Webの仕組みに興味が湧いた時期だった。
そして、2013年の春。Web業界で話題に挙がる東京のWebメディアがライター募集をかけて、一か八か作戦で応募してみる。ライター初心者の自分は、個人ブログのURLを添付してメッセージを送るしかできなかったけれど。
しかし、世の中には拾う神様がいた。
「沖縄の情報を書きませんか?」と採用されたのだ。まず3本書いてほしいと納期を提示され、それから記事の企画を考え始めた。
これが、ライターを始めたキッカケだった。
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ライターを始めた頃は「自分が楽しむ取材」ばかりをしていた
何を血迷ったのか、1本目。いきなり沖縄のコンビニ各社の広報さんに「こんな記事を書きたくて、取材をさせてほしい」と電話をかける。おいおい、勢いかよ。大丈夫かよ。自分でツッコミながら熱量だけで進めていく。沖縄ファミリーマートさんから「ぜひ本社に来てください」と明るい返事が来て、浮足立った気分でオフィスに訪れた。
トントン拍子で話が進んでいく。運が良かったのは、その広報さんがWebメディアの知識に明るく、Web記事の優位性を認識していたからだ。
そして、取材当日。広報さんが立ち会う中、沖縄ファミマの店内で撮影したり、広報さんに「シャッター押してください」と自分の顔出し写真を撮ってもらう。なんて図々しいのだろう。勢いって怖い…。
スタッフさんにも声をかけ、写真に写ってください!と巻き込みまくる。初めての取材は、とにかく面白かった。そんな記憶しか残っていない。
その1年後、2014年。Web業界で認知度が高いメディアで執筆していたのが功を成し、「日本マイクロソフト品川本社」に訪問することになる。
それは、取材をするために。
というのは表向きの名目。本当の目的は、超大手IT企業のオフィスを見学したい!という自分の好奇心が炸裂したからだ。
取材当日は、わくわくを通り越した幸せな時間を連れてきてくれた。感動に近いこの体験の影響から、私の新たな趣味に”オフィス訪問”が追加された。
人との縁が縁を呼び、面白い人たちに出会う機会が増えていく。「機会があったら取材させてほしい」と声をかけては、アイデアの引き出しが増えていく面白さを体感していた。
ライターとして働くのは、なんて楽しいのだろう。これはもう天職かもしれない。そう思うようになっていた。
インターネットの魔法にかかったライター1年目
Webで記事を公開するたびに「おもしろかった」「この表現いいね〜」と知人から感想が届いて、自分の記事を読んだ人たちが笑う姿や表情を想像して自分もニンマリする。
自分の書いた記事が誰かを笑顔にしている?(いや、自分も笑ってたし)
Webを介して自分の書いた記事が、どこかの誰かに届いている。これはもうマジックだとしか思えない。記事を読んで、笑いや驚きや共感やネガティブな感情も、何かしらの感情が生まれているのだから。
インターネットって凄いな。だって全世界に届けられるんだもの。
「読者が笑顔になってくれたら嬉しいな」
そんな夢物語と厨二病をこじらせたその先で、沖縄の駆け出しライターは楽しい取材を求めて、楽しく読める記事ばかりを追いかけていた。
赤ペン先生が君臨!焦燥感と納得感から、文章の本質と向き合う
2014年の下半期から、「写真の撮れるライター」として執筆依頼が来るようになり、いきなりリゾートホテルの取材・撮影が始まった。しかも、ありがたいことに大量に…。怖いもの見たさなのか、当の本人はケロッとしていたけれど。
沖縄県内の高級リゾートホテルを2カ月間で20カ所以上は取材したと思う。今の実力ではハードルが高い撮影だと理解していたから、構図のイメトレや撮影練習を繰り返して自分でダメ出しをする。なんてことをしていた。
このとき、赤ペン先生ならぬ、初稿が修正だらけで真っ赤っか!な体験をする。戻ってきた原稿を見て、おおおお!なんだこれは…!!と驚きと憤慨と反省と、そして事態を飲み込んだ。これが元新聞記者が行う編集かと、1文ずつマジマジ読んで、すごいなあ。じわじわと納得感があとからやってきた。
この頃から、文章の本質と向き合い始めることになる。
何でも「YES!」と仕事を引き受けていたライター2年目
旅行会社のツアーコンダクターを経て、Web制作会社に勤務した経験から、得意分野のWebと観光がミックスして、過去の職歴がライターの仕事に大いに役立っていた。
ホテル取材の執筆・撮影から始まり、グルメ体験や街歩き、工場見学と商品レビュー、沖縄に関するエッセイ、IT系のイベントレポートなど。企画立案から執筆まで、地域に密着した取材へと移行して、執筆テーマもスタイルもどんどん変化していく。
「新規立ち上げのWebメディアで執筆しませんか?」
ありがたいことに同時期に数社から連絡が来て、1件はTwitter経由。2件目は以前ライター募集に応募した企業から、3件目は知り合いからの依頼だった。
「ライターを探している人がいる」
今度は知り合い経由で連絡が入る。ある案件の担当者から詳しく話を聞くと、15カ所の取材・撮影をしてほしいという。雑誌の特集記事だった。
慣れてきた観光系の取材・撮影だからスムーズだったものの、一気に3日間で取材した記憶が蘇ると、よく体力があったなと過去の自分を労いたい。懐かしさと失敗談まで鮮明に思い出して、自分で自分をノックアウトしたくなった。
取材ライターには体力勝負の仕事もあって、いや正確には体力勝負の企画を自分で立てていたんだわ。今ならわかる。もっと楽をして取材することもできたよね?
でも行動した量が多いほど、取材の記憶が鮮明だし、PVが増えるほど喜びが増す。PV数にしろ、取材先への反響やメディアへの貢献度、SNSで読者の感想を目にしたとき、記事を書いた甲斐があったな!と思ったりした。
感動に似たこの感覚が残っているから、やっぱりライターは楽しくて辞められないと、未だに思っている。
ある日突然、苦しい時期がやってくるライター3年目
苦しかった時期のことも書いてみたい。
2〜3年も執筆していると、少しずづ膨れ上がった巨大な壁が、果てしなく絶望的に目の前の道を塞いでいく時期が訪れる。語彙力不足なのか、言葉選びのミスなのか、「違う…その言葉も違う…そうじゃない」と原稿を書きながら苛立ちが焦りとなって、ズシンと重くのしかかる。
構成が腑に落ちない。何かが違う、でも何が違うか自分ではわからない。どこを直せばいいの? どこを削除すればいい? そしてPCを入力する手が止まる。
「これが、思考停止ってヤツか」
ゴールを見失った記事は、空中分解して宙を舞い、違和感という影を潜めて彷徨い続け、足掻いても踠いても一向に解決しない底なし沼へ。この堂々巡りが始まると、思考の切り替えや気分転換だけでは、なかなか抜け出せない。時間が解決してくれる場合もあるけれど、とにかく書かなければ、原稿は終わらない。
そこで、第三者に登場してもらうってわけだ。第三者に俯瞰した目線で記事を読んでもらうと、違和感に気づいてもらいやすく、率直に意見を言ってくれる人にお願いするのが、重要ポイントだったりする。
私の場合は、記事の違和感を解消したい切実なときにお願いするから、褒め言葉よりも ”違和感に気づいてくれる” 感性を持つ人に頼むことが多い。そして、不意打ち的に思わぬ落とし穴に気づかされたとき、その人への信頼度が爆上がりする。きっとクリエイター的な感性の高さに惚れ込むのだろう。
完璧主義者ゆえの葛藤。そして初稿に宿る覚悟
私は完璧主義者の傾向があり、この程度でいいや!と妥協することができない。ファクトの検証から記事の切り口、読者に伝えたいゴールや読者に届ける方法まで、一連の作業の中でひとつとして手を抜けないのだ。
納期は必ず守る。けれど、企画系コンテンツや長文案件は、時間ギリまで原稿と格闘するときもある。
ライター駆け出しの頃は、1,000文字書くのに4〜5時間かけて文章と向き合ったり、4,000文字前後の記事を丸1日かけて執筆した経験もある。次第に執筆に慣れてくると丁寧にも限度があると気づいて、有限な時間との付き合い方を見直すキッカケになった。
今回は燃費が悪いなあ、と思うときもあったけれど、自分が納得いかない記事を入稿するのは、自分に対する冒涜じゃないか? と自分で自分を粗末に扱う行為に思えて、今では初稿に覚悟が宿っているような記事を入稿すると決めている。
自分が満足しない記事を読者が読んでくれるはずがないと思うから。
その後もこだわりは続き、、、
1キロの重さを何で表現したら伝わるだろうかと、1時間近く調べて、MacBook Airの11インチが1.08kg。スコッティのティッシュ5箱で1.04 Kg。身近なもので例えたら面白い記事に仕上がり、ネタのパンチもあって1週間で10万PVを超えたと編集者さんが教えてくれた。
これからライターを目指す人へ
ライターにとっては【レッドオーシャンの時代】が来た。
とは、実は思ってなくて、noteさんが9月に主催したイベントで、古賀史健さんがこんな話をしていた。
古賀さんは「ライターの再定義をする状況にきていて、次のフェーズに行かないと、ライターという仕事の未来がないという危機意識が強い」としながら、こんな言葉で締めくくっています。
YouTube:https://www.youtube.com/watch?v=xBGbkbu62X4
「ライターの定義は広く、母数が増えるということは、ライターの平均点が下がり、自分が目立つことができる。俯瞰して考えると、全体の色が薄まっている現状はチャンスだと思う」
見方を変えるだけで【チャンス】が広がる。
視野が狭くなると息詰まるけど、視野を広げた途端に、これってチャンスじゃない?と真逆の発想が舞い降りる。文章を書く仕事が幅広いジャンルに枝分かれした現象を見ると、文章の可能性は今後も広がるばかりだろう。
日本人であれば、年齢の分だけ日本語を書いてきたと思うので、社会人デビューした時点で差がついているのだろう。その差を埋める行為が「とにかく文章を書き続けること」「読書すること」などと言われて、さらに第三者や編集者からフィードバックをもらうと、驚くほど文章力が上達する。
「文章を書く⇔フィードバック」
この繰り返しで文章力が身につく。文章を書くには思考力も伴うけれど、年齢や居住地など関係なく、ライターを目指したい人がいたら、今からでも書き始めてみてほしい。
ライター講座の講師経験から語らせてもらうと、「自分の強みがわからない」と話す人は想像以上に多い。
「好きなこと」「得意なこと」「楽にできること」
最初はこの3点に絞ると記事のテーマやジャンルの選択にも役立ち、書きやすいと思う。「好き・得意・楽」なことだと継続しやすく、継続できるからいずれ習慣化していく。好循環の始まりだ。
私のように文章を書き続けていたら、それが仕事になっていた人もいるから、ライターを目指すなら、まずは自分のことを語ってみると過去の振り返りや意外な発見があるかもしれない。
軽めに楽しく書ける記事もあれば、文章と対峙する重みのある執筆もある。何はともあれ、自分らしい文章で書くこと。そして楽しむことを忘れずに!
最後に、ライター歴8年目に突入してしまった
ライター歴8年目に突入して、何だかんだとライターを続けている理由は、取材もインタビューも仕事そのものが楽しいからだ。今では編集やディレクションも行うようになり、人を束ねる役割が増えてきた。
ライター講座の講師として活動する前提には、プレイヤーであり続けることを自分に化している。ライターの立場で考えて、想像して、共感して、稀に危機感を持ち、楽しさや辛さも同時に体感して、それを伝えていく。これは現役のプレイヤーでなければ、できないことだから。
時代の流れに見合った提案や情報共有をする。ライターからキャリアアップする方法が幅広く存在すること。疲勞も歓喜もありのままに次世代のライターたちに繋いで届けていきたい。
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[こんなことをやってます]
沖縄のライター・編集者チーム「OKINAWA GRIT」代表。
ライター|編集者|コンテンツプランナー
カメラマン|Webメディアのディレクター
広報支援+SNS運用|ライター講座の講師
Twitter:@miya_nee
・Webライター育成講座の講師
・ライター向けのイベントの企画・運営
・オンラインのライターコミュニティ運営
・月に1度、東京・埼玉(実家)に訪れている
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